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Naoki Sakai 坂井直樹
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too much(学生の時に初めてて作った写真集) 写真家 坂井直樹 Photographer: Naoki Sakai 坂井直樹 従来の写真映像について私は紙は何も知らない。ただ私は、私の生活、すなわちロック・ファッション映像・プリント等の情報の洪水の中で漂いながらプレーンやハートではなく、全感覚を開放し、私の中枢神経を電気のように走るgroovyでtoo muchな快感を大切に私の日常生活をメディアにしてインプットした。木村英輝 (美大当時の恩師) - Hideki Kimura (former teacher of the kyoto fine art school) ロング・ヘアーで茶髪、フリルの付いたシャツ、薄化粧、指にリングが一杯、そしてハードな黒いサングラス、こんな出で立ちの美大生が現れた。美大は(京都市立美術大学、現・芸術大学)公立校、受験の難関を突破してきた画学生ばかり。汚れた作業着が定番だった。35年も昔のことだ。彼はピーター(池畑慎之介)に象徴されるピーコック・ファッション革命の先陣を走っていた。彼こそがその後、Be-1(日産の限定車)やSF・MOMA(サンフランシスコ近代美術館)に永久保存されたオリンパスのカメラ「O-PRODUCT」等のデザインで一躍名を馳せる坂井直樹である。 彼は大阪、四条畷駅前のサカイ運送の長男。四条畷とは今東光が言う"河内のヘソ"の様なところ。しかも彼は四条畷高校のラグビー部だったと言う。バリバリの河内野郎と言ってもいい。親父の生家は京都の帯屋、古典を重んじる家系、今も叔母は京都・白梅町で坂井春陽堂という骨董屋を営んでいる。坂井直樹は、ともすれば軽薄だと誤解されやすい身なりでファッション系の仕事をしてきた割には大胆で男っぽいのは、育ちは河内、血は京都という生い立ちのせいかも知れない。荒々しい河内の根性と京の雅な感性による彼の発想の根っこが垣間見える。ウォータースタジオと私 1947年9月20日、当時30才の母トキエと20才の父直哉の長男として誕生しました。京都芸大にいた19才のころ、今思うと大人になりたくて、初めての結婚をし、そして渡米と同時に、やはり初めての会社TATOO COMPANYを作りました。これが「大人への道3セット」でした。WATER STUDIOの起源は私がサンフランシスコで始めた、そのTATOO COMPANYまで遡ります。そして、その後WATERという社名の時代を含めますと、その歴史は通算で30年あまりになります。ともあれ、このように時間を遡りますと、ずいぶん色々なことを、やってきたようにも見えますが、私の中では、その時々に強く惹かれたものに、ただ一直線に向かっていったに過ぎません。そして、過去を振り返ることの苦手な私は、このように自分と自分の会社の過去を記すのは、極めて希なことです。しかし、私の若い頃に興味をもってくれる、若いひとたちへのメッセージとして私の今は勿論のこと、これまでの経緯も書き記します。GALAXY 週間プレイボーイ Weekly Playboy モード・エ・モード (mode et mode) textile design roxy Tachikawa factory my mother & hikari drawing by trey water studio Bruce Osborn/ Be-1 革ジャンにサングラス。短く刈り上げたテクノカット。BMWの大型バイクと二台のポルシェが「足」だ。 坂井直樹さん、四十歳。商品企画が現在の本業。人は彼を「テクノ・ターザン」と呼ぶ。 日産{Be-1}の成功で知られる。性能やメカで競う車の世界に「かわいらしさ」を追及する新しいジャンルを開いた。「人に見られる、女の子にもてたい」という若者の価値観をストレートに生かし、予約がないと買えない人気を呼んだ。 ryomu 映画ジェームス山の李蘭出演 Playing the shoeshine boy in the movie "James Mountain Riran" (Japan 1992) 東京よ(朝日新聞)1988/1/8 WATER STUDIO That is Tokyo! In front of Waterstudio (Photograph for Asahi Shinbun 1988/01/08) ストックホルム講演会 - 1989 Stockholm Talk Show Event Smart Magazine その当時に目にした英国の[Design]誌が、彼の人生を大きく変えるものとなった。それは、日本のインダストリアルデザインの特集号だった。「日産の[Be-1(ビーワン)]やオリンパスの[o-product(オープロダクト)]など、従来の概念を打ち破るデザインに、僕は手が震えました。それに、それらの生みの親であるプロデューサーの坂井直樹さんは、同じ特集に出ているほかのデザイナーとは異なり、自分の夢を語っていたんです。デザイン誌のなかで、製品の具体的な説明以外のことが記事になるのは珍しい。記事を読んですぐ、坂井さんのように夢を語るデザイナーになりたい、と思いました。しかも彼のように、夢を夢のままで終わらせず、長いプロセスを経て生産に至る製品を実現させるにはどうしたらいいのか。日本でなら、そのことを学べるのではないかと感じたのです。」RCAを卒業後、英国航空主催のデザインコンペに入賞した彼は、副賞で手にした航空券の行き先を迷うことなく東京に決めた。デザイナーとしてのグエナエル・ニコラの第一歩が、こうして始まった。ブルース・オズボーン親子写真 Bruce Osborn's parent-child photographies ブルドッグ・マガジン - Bulldog Magazine フライデー - Friday Business TOKYO FPマガジン - FP Magazine 未来からモノづくり making things out of the future つえ - sticks 左大腿骨X線写真 - X-ray picture of my left femoral The Imperial Engine 2001/9 デザイン・レボリューションカーBEST10。 1908年にT型フォードが発売されてから約100年、 世界中で様々な造形のクルマが生み出されてきた。 その中から、カーデザイン史に残る10台を激選。 デザイン的な魅力・革新性を徹底解説する。デザイン史に残る10台の車に日本車で唯一Be-1が選ばれた Among the 10 best car's in history, Be-1 was the only Japanese car! 知性を磨くデザインコラム 最後にここ2-3年の流行りネタである"デザイン"に関するコラムを。柳宗理や安藤忠雄やイームズを語れるだけじゃ、もうハイソじゃありません。それは知っている/知らないという知識に過ぎず、お勉強すれば誰でも得られるもの。ハイソに必要なのは、"知識"じゃなくて、"知性"です。そこでオススメしたいのが『PEN』の坂井直樹氏のコラム、「デザインのたくらみ」。ブランドショッピングや杖など、身の回りのデザインに対する考察は、まさに知性のなせる業。当たり外れはありますが、最近では駅弁のパッケージと横尾忠則の関係についての回など、ハッとさせられました、ハイ。この"ものの見方"をお手本に、デザインを語れば、間違いなくハイソに見えるはずです。以上、お金はそれほどなくても、読むだけでハイソぶることができるコラムでした。ウォータースタジオと私 1947年9月20日、当時30才の母トキエと20才の父直哉の長男として誕生しました。 京都芸大にいた19才のころ、今思うと大人になりたくて、初めての結婚をし、そして渡米と同時に、やはり初めての会社TATOO COMPANYを作りました。 これが「大人への道3セット」でした。 WATER STUDIOの起源は私がサンフランシスコで始めた、そのTATOO COMPANYまで遡ります。そして、その後WATER という社名の時代を含めますと、その歴史は通算で30年あまりになります。 ともあれ、このように時間を遡りますと、ずいぶん色々なことを、やってきたようにも見えますが、私の中では、その時々に強く惹かれたものに、ただ一直線に向かっていったに過ぎません。 そして、過去を振り返ることの苦手な私は、このように自分と自分の会社の過去を記すのは、極めて希なことです。 しかし、私の若い頃に興味をもってくれる、若いひとたちへのメッセージとして私の今は勿論のこと、ここまでの経緯も知っていただきたいと思い記します。 以降この原稿を読む私の若い友人たちは、自分の今の年齢のときの私の過去から読むと面白いかもしれません。 1、入れ墨Tシャツの時代 1969- (10代後半から20代の前半の私と、ウォータースタジオの起源) 60年代の後半にサンフランシスコで、TATOO COMPANYという会社を発足しました。日本の伝統的な入れ墨に、その当時のコンテンポラリーなモチーフを、コラージュしたテキスタイルを、 Tシャツに仕立て上げたファッションは、当時日本人が少なかったせいもあり、大変な反響を呼び米国の新聞やテレビに取り上げられました。 2、ファッションビジネスの時代・ウォーターという社名の始まり 1972- その後日本に帰り、原宿で当時の仲間と共同所有の「ヘルプ」というブティックをオープンしました。このころのファッションビジネスの勢いは、今の情報通信のネットバブルにとても似ています。 その当時の仲間には「ハリウッドランチマーケットの垂水ゲン」や「コムデギャルソンの川久保玲」などは今もファッション業界で活躍をしています。 この頃に、京都美大(後の京都芸大)の先輩で友人でもあった山形不可止に頼んで、つけてもらった社名がWATERでした。 彼に理由を聞くと、私のイメージが水だそうです。つまり液体、気体、固体と変化していくフレキシビリティーだそうです。 3、テキスタイルという分野へ移行した時代 1975- 当時の私は、何となく「企業との関連でビジネスを覚えたい」という考えを抱き始めました。 つまり当時の仲間は、マンションメーカーと言われる、小規模だけれどオリジナルなファッションビジネスの時代に、突入していきました。そして後に大半の仲間は、十分な規模の企業に成長しました。 それはそれで十分に魅力的な方向だったのですが、私は「企業というものを知ること」により興味を持ったのです。 たぶん当時の私にとっては、なんだか「得体の知れない巨大なモノ」の中を、外から覗いて見たかったのだと思います。 つまり繊維業界でいうと「東レ」や「帝人」、広告業界だと「電通」などから、もう少し規模の小さい企業では掘留や室町の繊維問屋が、私の好奇心の対象となりました。 その何となく「企業との関連でビジネスを覚えたい」が、たぶん後の、Be-1のコンセプト開発への伏線になったような気がします。(大企業である日産との格闘の末にたどりついたヒット) 当時は私は30才になっていました。この頃に私が初めて書いた本が、「テキスタイルデザインの技法」です。 1878年3月20日初版 この本の版元は美術出版社です。皮肉なことに、この地味な最初の本が20刷りを越えて今も売られている隠れたベストセラーになっています。 4、ライセンスビジネスに関わっていく時代 1978- 商社から「ペントハウスブランド」のデザインマネージメントを依頼される。その人脈や方法論を活用してWATERやNOKO-OHNOブランドもライセンス展開を始める。これが後の、ウォータースタジオの品態論の基礎になる。 つまり同一の感性を、様々な品種のプロダクツ(製品)に展開してゆく情報技術を獲得することになります。 この頃に社名はWATER からWATER STUDIOに変わります。 そして、EMOTINAL PROGRAM(いわゆるEP)が、ライセンスビジネスの運営のために不可欠なブランドをポジショニングして、多様なブランドの差異化を計るツールとして開発する。 1979-1983 株式会社アースネットワーク、株式会社コンセント、株式会社ポーン、株式会社デニールなどファッションビジネスのベンチャーのプロデュースを始める。 これは経営的才能とクリエイティブの才能を持った人たちに。エンジェル(投資家)をつけていわゆる起業をサポートするコーディネーターのような立場でした。 今のネットビジネスのインキュベーター(孵化器)や事業家支援ビジネスにも似ていますね。 5、プロダクトデザインの時代の始まり 1983- Be-1が1985年のモーターショーに出品される。 この頃に、日産自動車から、いわゆるリッターカーのコンセプトワークの依頼が、飛び込みます。 大きな転換がWATER STUDIOに訪れたわけです。最初に手がけたプロダクトデザインがカーデザインでした。 これはとてもラッキーな始まりでした。 なぜなら、自動車はまさに[KING OF PRODUCT]と呼ばれ、自動車に成功した会社は、カメラもテレビも電話機もきっと成功させるから大丈夫という風潮でした。 そしてこの当時も今も、外部から企業の自動車デザインに関わることには、ほとんど成功事例はありません。 そして、Be-1が1987年に発売され、ほぼ一週間で完売となります。これが空前の大ヒットとなり、仕事が断り切れないくらいに飛び込むようになります。 マスメディアにBe-1と坂井直樹とコンセプターが露出される時代自分自身のモノ作りのアプローチの軸をコンセプトワークに置きました 1988- バブルまっただ中 主なメディアに、朝日新聞などの新聞、NHKなどのテレビ、テレビ朝日の「東京ソフトウォーズ」、日本テレビの「EX-テレビ」、テレビ東京の「NEXT-WAVE」、BBCの番組などのテレビ出演などメディアが洪水のように訪れます。 これらの現象の一因はプロダクトデザイナーと名乗らず、プロデューサーとも名乗らず、メディアにはConceptにerをつけてコンセプターと名乗ったことにもあると思います。 そして実は、このアイディアは僕自身ではなく、株式会社スターダストプロモーションの細野義浪さんの考案でした。 新しい言葉と職種(肩書き)を作ったことで一層サクセスストーリーにインパクトを与えたと思います。 私の能力を一種の魔術や呪術に近い感覚をもった人も多く、秋元康さんや、細野晴臣さんをはじめさまざまなひとが相談にみえる不思議な期待に正直戸惑いもありました。 ともあれ、NHKも朝日新聞もこのタイトルを受けとめるまでには、この後数年かかりました。 1998 O-PRODUCT/PAOなどの開発 この頃の成果は、Any Publicity IsGood Publicity「エニーパブリシティー イズ グッドパブリシティー」という、アンディーウォーホールの言葉に象徴されるような、メディアの力や活用の仕方を徹底的に学習しました。 1990- サントリービール・ジアス/カネボウメンズコスメティック・デナリ 1991 オリンパス・エクリュ/沢の鶴の日本酒・玉兎/シャープ・液晶モニター/日産ラシーン USA-WATER STUDIOの設立 ロスアンジェルスのキャピタルレコードの近くに500坪の敷地に大きなプールのついた邸宅をキャッシュで購入し、いわゆる典型的な日本のバブル紳士だったわけです。 この頃は、資金も潤沢にあり盛んに欧米のデザイナーとのコラボレーションを行いました。欧米のメデイアにも盛んに登場しました。そのお陰もあってSF-MOMAを始め世界の美術館にウォータスタジオの作品が永久保存されています。 この頃から「コンピューターに関する世界に興味が強くなっていた事」が、つい最近昔のビデオを編集している時に発覚した。かの横山ノックさんと大阪のテレビでやっていた「真夜中の学校」という番組出演のときのビデオの中で、「これから坂井さんはどんなコンセプトワークをやりたいですか 」というノックさんの質問に、「やはりパソコンに関わるビジネスですね」と答えていました。 その後、エックスマキーナというヨーロッパ最大のCGスタジオのザビエニコラの仕事に興味を持ち、営業関係の仕事を手伝う。 あるいは、大久保恵司を紹介してくれたデコイの稲田貴彦氏と、軽めのCD-ROMのソフトを出版しようと活動する。今考えるとWATER STUDIOとして、どうコンピューティングビジネスに関わるかを模索していた時期です。 1995- 松下電器産業のPCに関わる全13事業部のデザインを、緩やかに統合するデザインアイデティティーのプロジェクトなど、この頃からアスペックとのコラボレーションにより情報通信のプロダクトとコンテンツの開発を始める。 96 山の手線車両のインテリアデザイン JR東日本/電車に持ち込める自転車トレンクルの開発 このころから韓国のソウルにイリディウムというWATER STUDIOのエージェントを置き主にラッキーゴールドスター(LG)の商品開発に多数関わることになります。 デンソーの新規事業のCI開発、企業スローガン。 97 P3/松下電器産業のPCに関わる全13事業部のデザイン統合 アルフレックス/AQUAとKITE(家具) パイオニア/ヨーロッパむけオーデイオ オムロン/コーポレイト・コミュニケーション 花王/シャンプー&リンスのマーケティング LG/ウォークマン、エアコン、オーデイオ ベルシステム24/EPマーケティングの実験 船井電機/LCDモニター 98 オートバックス/スーパーオートバックスのコンセプトワーク トヨタVVCのWILLデザインコンペの参加。 デュポン/不燃紙の市場開発 小泉産業/照明器具ウインクのデザイン ドリームズカムトゥルー/情報通信ゲームの提案 P&G/新製品の市場開発 オリンパス/デジタルカメラ 日立製作所/モバイルのプロダクトデザイン。 99 SONY/カーオーディオのコンセプト&デザイン SII/次世代携帯電話の開発 セイコーエプソン/液晶プロジェクターの市場開発 NTTサイバーソリューション研究所/EPエンジンの開発実験 NTTデータ/モバイルを使った50のビジネスアイデア NTTコミュニケーションズ/新ポータルのコンセプト開発 NEC/デスクトップパソコン「シンプレム」のコンセプトワーク&プロモーション ノアインターナショナル/レイド 2000 カッシーナ/低価格ハイデザインの「ブーメラン」ソファー開発 シャープ/ビデオディスクカメラの開発 NTTデータ/IMT2000のビジネスアイデア50選 NTTデータ/moperaのビジネスアイデア50選 サンワサプライ/パソコン周辺商品の開発 NEC/Branding FSAS/ビジネスアイデア50選 イトーキ/インターネットマーケティング キャノン/新規事業開発 EMOTINAL PROGRAM出版/早くも増刷で、様々なマーケッターのツールとして普及するでしょう。 ナイキ/ナイキデザイナー300人にポートランドで講演、スタンディング・オベイションにとまどう 2001 三菱自動車/コンセプトワーク トヨタ/Willプロジェクト4号車のデザイン提案 NEC/次世代携帯電話のコンセプトワーク&デザイン ソニー/ブランディング ソニー/次世代デジタルプロダクツの開発 東電/EP-engineを使ったネットワーク上で作動するショッピングナビゲーター・情報分類エンジンの開発 東京デザイナーズウイークに椅子「ゴースト」をアルフレックスの協力で発表 カッシーナ/「ブーメラン」ソファー発表 松下電送/ネットワークデバイスのデザイン開発 タカラ/子供向けPCの企画&デザイン提案 J-PHONE/ネッワークコンテンツビジネスの提案 トヨタ/64車種別のライフスタイル分析 雑誌ENGINE/EP分析の50ページ特集 かんき出版/「自分探しのブランドブック」を12月に発売。 そして約200名のメディア・クライアント・友人を集めたパーティーでEP-engineのアーキテクトをプレゼンテーションする。 京セラ/携帯電話のデザイン提案 2001年WATER-AE(営業部門)の設立 2001年9月20日に EP-engineの設立 今、私は素晴らしいチームに支えられています。 大久保恵司、南形潔賜、坂井光、等々で す。 そして、又力強い外部スタッフやブレーンにも恵まれました。 森田啓介、永田仁、深沢勇人、倉垣光孝、グエナエル・ニコラ、井植洋、床波浩、石津タカシ、水野誠一、松岡正剛、山田進太郎、等々です。 大久保恵司はウォータースタジオの代表になります。 大久保との出会いがなければEP-engine co.ltdを始めることにはならなかったかもしれません。 年は私よりは若いかもしれませんが、情報通信に対する知識や経験の量は、はるかに私より上です。 株式会社EP-engine設立経緯 [なぜ今、新会社設立なのか?] Emotional Program (EP)は坂井直樹が開発し、20年来商品開発に利用してきた独自のマーケティング・メソッドです。今回、このEPを主軸としたマーケティング会社EP-engineを設立する運びとなりました。坂井が代表を務めるウォータースタジオの代表は大久保恵司に替わり、今まで通り商品開発を行い、新しく設立されるEP-engineはマーケティングに特化した会社になります。定量データに基づく従来のマーケティング・メソッドでは解決できない問題に対して、人の感性という定性的なデータから分析するEPに対する期待は高く、昨今注目されているCRMや感性マーケティングへのニーズに応えるべく、2001年の今、新会社設立を決意しました。 会社設立にあたり、EPについても初心に立ち戻り、坂井の仮説を実証するために大量のアンケートデータをインターネット上で採取し、各分野のスペシャリストをブレーンに迎え週に一回のミーティングを開いています(ミーティング議事録は別紙参照)。我々が目指しているのは、EPをもとにした自動分類エンジンの作成と、そのエンジンの販売です。今まで坂井の感性で分類していた主観的な部分を、自動分類エンジに行わせるためには、体系的なデータベースの構築と高水準の推論分析を行えるエンジンが必要になります。 [ブランド情報のデータベース化] 私たちは各ブランドが持つ感性を、クリエイターの感性、ターゲット層、ブランドのこだわりなどからブランドの特性を分析し、データベース化してブランドカードを作ります。 [推論分析エンジンの開発] 最終的には、9つのステージにつき10品種(一品種10ブランド)合計900個のブランドカードと、9つのステージにつき100人ずつ900人のサンプルを用意して、2002年3月を目標に、自動分類エンジンのβ版の完成を目指しています。 [これから] 今後の展開としては、自動分類エンジン作成、ブランドカード作り、ビジネスモデル策定のグループに定例ミーティングを分けて、作業を進めていくことになります。現在EP-engineに興味を持っていただいている企業に、東京電力、NTTデータなどがあります。これらの企業の協力も得て、EP-engineは最終的なエンジンの完成を目指します。 [プロジェクトチーム] 坂井直樹、山田進太郎、木村覚男、坂井光、大久保恵司、宇佐川澄、澤井条二、 三根一仁 、和田圭、永田仁、坂井龍夢 以上簡単に私とウォータースタジオの歴史と、そしてEP-engineの新しい歴史の始まりです。
(C)1966-2006by坂井直樹
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